1cm100mブログ

「必要」という言葉には「必ず」という意味があるんだろうか?

2017-02-28 10:08:22  |   軽めに

「必要」という言葉は、「必ず要る」と書く。
「必ず」とは、絶対にとか例外なく、という意味だよね?

じゃ、例外なく絶対に要る、ことを以って「必要」というわけだ。
だからこそ「必ず必要」という言葉は、よく誤りの例として出されるのだ。

だとすればだ、〇〇は必要です、と言った後に、
でも要らない場合もありますけどね、

と但し書き的に付け加えるのは、間違いなんだろうか?

よくあるじゃないかそういう使い方、
年に1回の更新料300円が必要です。プレミアム会員であれば要りませんけど。

みたいなやつ。
最初に原則を説明して、後から例外的ケースを挙げていくというやり方ね。

こういうの日本語として不自然ではないと思うんだけど、よく考えると危なっかしい気もする。 絶対に要るんですよと最初に言っておきながら、要らないケースもあるからよろしく・・何じゃそりゃという感じじゃないか?

明日のパーティー?絶対行くよ。
まぁ行かないかもしれないけど。

って言ってるのと同じなんじゃないだろうか?
「必ず必要」という言葉が間違いだというなら、なぜこっちは問題にならないのだ。

気になる人は、「必要」という言葉を「要る」に換えればいいのかもしれない。
更新料300円が必要です→更新料300円が要ります。

それで大抵は足りる。

でも、例えば「必要書類」という言葉をどう言い換えればいい?
「要書類」なんて言葉は聞かないし。

「必要書類」と謳うとき、本当にそれがどんな場合でも絶対に要る書類の集まりであることは、むしろ少ない。 大抵何かしらの例外が混じってるわけさ。

そういう例外混じりの必要物を的確に表す言葉が、今の日本語には欠けていると思うのだ。 必要書類に代わる言葉よ、出でよ。

いや、そもそも「必要」の「必」には、絶対にとか常にといった意味は込められていないんですけど、

と根っこから反論をする人もいるかもしれない。
もっと軽い意味なんだよと。

まぁたしかにそんな風に思えないこともない。
「そんなことをする必要がどこにあるの?」と誰かが言うとき、絶対どうあってもそれをしなければいけないの?他に手はないの?

というニュアンスは込めないからね普通。
もっと軽めの・・そうね、そんなことをするメリットがあるの?ぐらいの意味で使う。

木が生えてなくても木星と呼ぶように、緑っぽくても青信号と呼ぶように、全国の田中さんがみんな田んぼの中に住んでるわけではないように、

漢字の表す意味どおりに解釈しなくていいんだよただの名前だよラベルだよ、 と考えれば、とりあえずOKなのかもしれない。

でもそれだったら、「必ず必要」という言い回しも許可しないといけない。
だって「必要」の「必」は意味なんてないただのラベルなんだから、「必ず」と重複してないことになる。

田中さんが田んぼの中にいます、と同じだネ。
ぜんぜん重複してないのだ。

しかし世間一般的には、「必ず必要」は愚かな言い回しの代表格みたいな扱いになってないだろうか。 頭痛が痛いと同じで。

「必」に意味はあるのかないのか、はっきりさせてほしいと思う。
こんな紛らわしい言葉を考えた輩は誰なんだろう。実に迷惑なことだね。 なんで「必」という言葉を頭に付けたんだろう。

試しにあれだ、
「必要」という言葉が今日から「乙要」に入れ替わったら、と考えて見たまへ。

必ず乙要、乙要書類、そんなことする乙要ある?
これらは全て自然で、面倒な問題など何も起こらなかったのだ。 こっちの方が優れている。

必要を乙要に取り替えることで日本人は幸せになれると思う。

ちなみに「必要書類」に抵抗がある人は、「提出書類」という言葉を使うといいかもしれないな。 今思いついた。

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2016年を振り返り

2017-01-18 09:55:13  |   軽めに

1年の初めということで近況の報告を。
かつて行なっていたHP制作業その他もろもろについて。

HP制作業で管理していたサイトがこれまで3つあったのですが、去年はその1つが解約となりました。 初の解約事例です。

とはいえ先方に解約されたのではなく、こちらから打診をして受け入れてもらった形です。

そのサイト、契約を切られない程度に集客できてはいたのですが、 さりとて芳しいわけでもなく低空飛行を続けていました。

テコ入れしなければと思いつつも、かかる手間を考えるとなかなか厳しいなと心理的な負担になっていて・・まぁそんな理由です。 先方は何も言ってないのに勝手にプレッシャーに負けて自爆した感じです。

迷惑かけてしまったのですが、まぁそれならと受け入れてもらえました。 こちらの勝手な都合によるものですから、当然サイトは譲渡しました。(先方によりリニューアル済み)

これを機に、HP制作のメインサイトを消しました。
もう長いこと募集停止にしていたのですが、正式に終了です。7年ぐらいの期間でした。

その一方で、兄のサイトを現在制作中。
身内のサイトなら気楽に作れるので前から持ちかけていて、やっと向こうがその気になったというわけで。

去年の2月に依頼を受けて、ようやく完成しそうです。
次回のブログで報告予定。

かつて目指していたマンガ家への夢が再燃してきたんで今年はマンガを描く、

と去年ブログで宣言した覚えがあります。
実際描きました。45ページ程度の原稿と、加えて50ページほどのネーム(下書き)。

当初はコンペに出すつもりだったんですが、いつものようにといいますか、やっぱつまらんなこれ、と気付いて放置してます。 しばらく進めてから気付くという誠にいつものパターン。

もともとその作品は1番描きたかったものではなく、二軍的な感じのやつです。 だから気楽に描けるだろう久しぶりのリハビリにちょうどよかろう、

で始めたわけですが、やっぱり魂込めないとダメですね。
しっかりつまらなかったです、はい。

あとはこれといってない1年でしたが、強いていえばストレッチを始め、なかなかの成果が出ました。

1ヶ月で身体は柔らかくなる!

と書いてるブログを見てなんとなく始め、せっかく柔らかくなったのだから元に戻るのもという感じで今も続けてます。 毎日30分。当初は1時間かそれ以上やってました。

これから一生続けるのかと思うと余計なことを始めた感がないでもなく、完全に時間の無駄げなのですが、 努力は報われるという小さな成功体験ではありました。

そういえば夏に顎関節症になって、今も口を開けるたびにカクンカクン音がします。 寝る時に後ろに倒れこみながらあくびをしたらガクンとあごがずれる大きな音がして、それ以降。

人生は一瞬の油断が命取りです。
ゲームのようにバックアップはないですからね。気を付けましょう。

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能力バトルを超える設定はこの先も現れない

2016-11-22 09:02:35  |   マンガ

ふと思った。
今の漫画によくある能力バトルって、ジョジョ3部が最初にやったんじゃなかったっけ?と。

でネットでちょっと検索してみたら、実に多くの人が同じことを考えているらしいとわかった。 もうほとんど常識になってさえいる感じ。何を今さら得意気に語らなくて良かった。

元祖といってもジョジョが0から能力ものを作ったわけじゃなくて、 そのはるか前に例えば『ファンタスティック・フォー』があったし、 ウルトラマンの怪獣やキン肉マンの超人だって多彩な能力を持つには持っていたわけなんだけど、

今と比べるとそれぞれ少しずつ足りない感じがある。 『ファンタスティック・フォー』は基本的に能力者 v.s エイリアンのようで、能力者の数も少ない。

ウルトラマンやキン肉マンも、概ね同じ系統の力どうしをぶつけて戦っていたイメージ。 どちらもベースがプロレスだし。

現代バトルものの主流はあれだ、能力者たちがⅠ人Ⅰ個の、それぞれルーツを同じくする(スタンド、悪魔の実、念etc・・)特殊能力を使い敵味方に分かれて戦う、というものだ。

その能力どうしはぜんぜん噛み合ってなくて構わない。
むしろ噛み合っていないほうが楽しい。

ギャンブルで負かした相手の魂を奪えるという能力者が、炎を吐く能力者らをどうやって倒すのか。 そんなアンバランスの戦いの面白さを世に広めたのは、やはりジョジョだろうと思う。

当時はその設定をさして新しいとも思わず、ふーんという感じで自然に受け入れていた。 でも今にして思えば、偉大な前進だったのだね。

あれからもう25年ぐらい経つわけだけど、なかなかそれに替わる設定が出てこない。 バトルものの新機軸が生まれていないように見える。

ここまで長いこと、このジャンルの進化が止まっていたことってあるんだろうか? かなり異常な事態なんじゃないのか?

80年代以降、漫画の人気はバトルものが引っ張ってきたわけじゃないか。 キン肉マン、北斗の拳、ドラゴンボール・・。

そうした作品は何かしら新しいバトルの姿を見せてくれたと思うのだ。 キン肉マンにはトーナメント、力の数値化、という今はどちらも流行らないけど後のバトルものに大きな影響を与える2つの要素があったし、 北斗の拳には北斗神拳が。

ドラゴンボールは、今では世界中に定着している、エネルギー弾を飛ばし合う超バトルを確立した。 その頃のバトルものは日々進化していたのだ。

その後ジョジョ3部が出たことでバトルものは理論面での頂点を迎え、ONE PIECEで人気の頂点を迎え、 その後は停滞しているように見える。

新しいバトルものが始まっても、またこの設定かぁ・・と感じることが多い。 すごく多い。

バトルものを描こうと思えば二番煎じ三番煎じ上等で能力バトルにするか、 それを避けて一昔前の、剣や拳法どうしで戦うクラシカルなバトルにするか、どちらかになっている感がある。

サッカー風にいえば、横パスかバックパスしかできない状況みたいなものだ。 前に運ぶことができない。

強いていえば進撃の巨人的なグロが近頃の流行で新しい要素なんだろうけど、グロは進化なのかな・・?

バトルものが盛り上がらなかったら、業界全体が盛り上がらない。 エースで4番だものバトルものは。引っ張ってくれないといけない。

漫画が売れなくなった一因に、エースの停滞はきっとある。
乗り越える時が来るんだろうか?

ぼくは来ないんじゃないかと思う。
悲観的な予想だけど、能力バトルを超える新機軸はこの先も現れない。

そう思う理由はこうだ。
能力バトルとは、すなわちバトルものにおける総合格闘技だから。

能力バトルとは平たくいえば、何でもありのバトルのことだ。 制約を取っ払って何でもありの戦いにすれば、能力バトルになる。 どんな超能力でも出せる。超能力者全員集合のオールスターバトルだ。

これは格闘技でいえば総合格闘技なわけよね。
ルールを取っ払って最も制約を少なくした格闘技が現在の総合格闘技だ。何でもありの格闘技だ。

そして一度何でもありのバトルが誕生してしまったら、それを超える体系は出ないと思うんだよ。 たぶん50年後も100年後も、格闘技の最高峰は総合格闘技のままなんだろうと思うじゃないか。

新しい格闘技は何かしら出るんだろうけど、総合格闘技より格の高いものにはならない。 何でもありよりスケールの大きな世界なんてないから。

同じことは漫画のバトルものについてもいえる。
能力バトルという何でもありのバトル以上に大きなスケールのバトルは作れない。

だからこの先でるバトルものは全て、今と同じかそれ以下のスケールの設定にならざるをえない。 どちらにせよインパクトに欠ける。

漫画界のエースであるバトルものは、この先も停滞を打ち破ることができず、 それにより業界は静かに衰えていく。そんな気がする。

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大切なものを失った喪失感を紛らわす方法

2016-10-01 09:21:06  |   より大きな自分を目指して

何かを失った時に悲しいのは、思うに自分が後退させられたと感じるからだろう。

前の自分と比較して不幸になったことが悲しいんだ。
スゴロクでいえば、10コマ戻る、のマスに止まってしまった時のような気分になるのだ。 戻る前の自分、10コマ先にいた時の自分、を思い出しては、今との差を嘆きたくなる。

だったら過去の自分と比較するのをやめれば、悲しまずにすむわけだよ。こう考えてみてはどうだろう、 10コマ戻った今こそが本当のスタートであり、これまではただのオープニングムービーに過ぎなかったのだと。

ほら、よくファイナルファンタジーなんかでさ、冒頭にムービーがあるじゃないか。 2頭身のキャラが勝手に動きまわって、城が魔物に滅ぼされるとかなんかそんなストーリーを説明してくれるやつ。

その間プレイヤーにできるのはボタンを押すことだけ。
いつ終わんのかなこれ、いい加減操作させろよーなんて思いながら、Aボタンを連打する。

やっと終わってプレイヤーを十字キーで動かせるようになった時、力がみなぎるのを感じる。 今まで無反応だったキャラを、ついに自分で動かすことができたのだ。

指揮権を自分の手に与えられた時、人は喜びに武者震いするのである。

で話を戻すけど、人生で何か大きなものを失った時はだ、
これは最初から決まってたストーリーであり、長い長いオープニングムービーがやっと終わったんだ、と考えるのよ。

オープニングで悲しいことがあろうとも、それは自分が何かを失ったわけではない。 そういうストーリーだったに過ぎない。 だからリセットボタンを押す必要はないし、むしろここからが本番だ。これからどんな冒険が待っているのか早く見たいぞワクワクするぜー!

そんな前向きな気持ちになれるかもしれないよね。

喪失は後退でもなければ終わりでもない、始まりなのだ。
ついに始まった君の人生を十字キーで操作せよ m9( ゚д゚)

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