1cm100mブログ

ひばり放送うるさい 防災無線で振り込め詐欺に気を付けましょう

2015-10-23 09:45:46  |   届け、魂の叫び

どうもぼくは昔から騒音に敏感であるようなんだけど、近頃気になっているのが、防災無線による振り込めサギ注意放送。 たぶんあなたの町でも流れてるでしょ。サギの電話が多発してるから気を付けましょうってやつ。

ぼくの住む相模原市では最近になって放送の頻度が増してるんだよ。
週に3〜4回ペースで流すこともある。なんかすごい張り切ってんの。勘弁してくれと。こっちはいつも家に居るんだよと。

ついに決心して、市に苦情のメールを入れてみた。
週に4回は多すぎませんかという内容の、我ながら実に抑制的なメールをだ。

そしたらこれまた実に予想通りの返事が来たよ。
振り込め詐欺が多発しているから注意喚起をしています、ご迷惑お掛けしているかもしれませんがご理解ください、みたいなやつ。 屁のつっぱりにもならない。

流すなとは言わないけどさ、なんで週4なのかって話なんだよ。
そのペースがふさわしいって一体だれがどんな理由で決めてんの!

みんなはあれをどう思ってるんだろう。あんまり気にしてないんだろうか?
週に4回の放送が適切だとほんとうに思う?

これメールにも書いたんだけど、 例えばぼくが拡声器を持って、「振り込め詐欺に気を付けましょーう」って大声を出してまわるのが、市民の役に立つと思いますか? あなたはそれを歓迎しますか?

同じことを市が防災無線で行うとなぜか有益になるというその発想が、ぼくは根本的に違うと思うんだけどな。 仮に有益なんだとしても、週4はやり過ぎだ。

「放送を聞いてサギの被害を免れる人が1人でもいるかもしれない。」
そう言う人もいるだろう。市の立場もそうなんだと思う。助かる人もいるかもしれないじゃないかと。

でもだね、そういうことを言う人って、コストというものを無視してやしない?
流さないより流すほうがいいというのは、コストが0である場合に限っての話なんでさ、 実際には何をやるにもコストはかかるわけだよ。コストに見合う価値があるのかを考えなければいけない。

例えばそうね、防災無線でサギ注意放送を流すたびに、全市民の口座から強制的にお金が徴収されるシステムになったとしましょうよ。

そこでもしも1回の放送で1000円を取られるとしたら、みんな大反対するだろう。
ふざけんな、あんな放送にそんな価値はない!とね。

じゃ100円なら賛成する?  10円ならどう?
1円ならどうでぃ。

これは想像だけど、多くの人はたぶんあのサギ注意放送に、1円たりとも積極的には払いたがらないと思う。 どうしても流したいというなら1円ぐらいは我慢して払いますよ、でも流してほしいとは別に思わないですね。

そんな感じじゃないだろうか。

それが市民の声なんだよ。民はあのサギ注意放送を必要としてないんだ。
だって1円も払いたくないのに必要なんですって、筋が通ってない。

しかし現実にはだね、ぼくたちはあの1円も払いたくない放送に、かなりのコストを支払わされているのだ。 すなわち騒音というコストを。強制的に。

静かな環境というのは、多くの人にとってお金を払ってでも手に入れたいものなんだ。財産なんだ。 だからこそ「閑静な高級住宅街」なんて言葉が使われるんだ。

その財産を市は破壊している。

こう考えてみようよ。もしもサラリーマンのAさんが相模原市に家を買ったとする。
念願のマイホームだ。そうね4000万円ぐらいで買ったとする。

しかし住んでみて、防災無線のスピーカーがすぐ側にあることに初めて気付いた。
買う前はこんなものがあるなんて知らされてなかった。

しかもそのスピーカーからは、振り込め詐欺に気を付けましょうなんて放送が、窓を震わすような大音量で流れてくる。 週に4回も流れてくる。

そのときAさんと家族はどう思うんだろね。
あの放送を、流さないよりは流したほうがいい、と言っている人に聞きたい、あなたはそれをAさんの前でも言えますか?

Aさんは買ったばかりのマイホームを売りたいと考えた。
しかし買いたいという人が現れても、善良なAさん、防災無線のスピーカーのことを黙っているなんてできない。

この家のすぐ側には市のスピーカーがあってですね、そこから週に4回も大音量で、振り込め詐欺に気を付けましょう、という放送があるんですよ。 それでもいいですか?
Aさんは正直に教えるんだ。善良だから。

買い手はAさんの人柄に感銘を受ける。言ってくれてありがとう!
しかしその家を元の値段で買おうとは決してしないだろう。

じゃあいくらならその家は売れるんだ?
一体いくら安くなれば、窓を震わすような大音量で週に4回の聞きたくもない放送を、これから一生我慢し続けようという気になるだろうね人は。 500万か?1000万か?

Aさんが1000万円を失ったとき、それは誰のせいだろう?
加害者は誰だ。振り込めサギの犯人か?

違う、相模原市だ。
市が騒音によって、善良なAさんから1000万円を奪ったんだ。

それは社会にとってどうしても必要な犠牲だったの?
あのサギ注意放送を歓迎している人たちは、そう言える人たちなんだってことでいいのかな?

相模原市に防災無線のスピーカーがいくつあるのかは知らない。
でも100個ぐらいはあんだろね。知らんけどさ。

その100個のスピーカーの付近は、いわば買ってはいけない土地、デッドエリアになっている。 だってもしもあなたの家族や親しい人が、スピーカー近くの家を買おうとしてたら、あなたは止めるでしょ?

「どうでもいい放送を毎日すごい音で聞かされるよ!
  資産価値も下がるから絶対やめときなよ!」

そう言うんでしょ?

自分の住む町に100個ものデッドエリアを作り、それとは知らずに不動産を買った多くの被害者を生み出す。 この損失って、金額に換算すればいくらぐらいなんだろう。

でもここで話を戻すけど、たしか僕たちはあのサギ注意放送に、たしか1回1円の価値も認めていないんじゃなかったっけ? 口座から強制的に1円を取られるのを歓迎していないんじゃなかったっけ?

それなのに自分の町に100個ものデッドエリアを作るのは平気なの?
そんなのは1円以下のコストってわけ?

振り込め詐欺の被害が深刻なのは知ってる。
これだけ注意喚起が溢れているのに、被害は減るどころか、年々増えているという。

しかし最近の振り込めサギは、実に手の込んだ方法を使っていて、昔のようにそういうサギがあることを知らない人をターゲットにしているものではない。 自分はそんなサギには引っ掛からないよ、と自負している人を大がかりな仕掛けで騙すものだ。

手口をネットなどで見ていると、自分はともかく、うちの親なら掛かりそうな気がしてくる。 相当に怖い。

だからその対策として、「振り込め詐欺に気を付けましょう」は、ほとんど何の役にも立たないと思う。 うちの母親も毎日あの放送を聞いてるはずだけど、聞いててくれてよかった!これからも毎日聞けよな!、なんてぼくは全く思うことができない。

もしもうちの母を被害から守ろうと思うなら、実行力のある方法は、ぼくが最近のサギのパターンを詳細に母に聞かせることぐらいだろう。 こんなパターンが新たに出たらしいよ、とね。

駅とか郵便局とか電車の中とかにも、そういうの貼ればいいじゃないか。
手口を詳細に語ったポスターを貼れば、へーと知的好奇心を刺激してもっとずっと多くの人に興味を持ってもらえるだろうし、心配した子が自分の親に話すだろう。

ところが実際にあふれているのは、単なる気を付けましょうメッセージ。
内容も毎回まいかいマイカッイおんなじ。

あんなの放送する価値ないよ。
100歩譲ってあるとしても、週4回も必要だと思う?
なんでそのペースなのか、市は理由を説明すべきだ。

騒音というのは、流す側ではなく流される側にとって不快なんだから、どのぐらいのペースで流すかは、それを聞かされる市民の意見を聞いて決めるべきなんだ。

でも実際には流す側が一方的に決めている。
このぐらいならいいだろうとか迷惑ではないだろうとかのその感覚は、あくまで加害者の感覚なわけ。

彼らは自分たちの感覚がずれてるかもしれない可能性を考えたことがあるんだろうか?

あなたが目覚まし時計を買うとするじゃない。
その時計にもしも、振り込め詐欺に気を付けましょうというメッセージが不定期に強制的に大音量で流れる機能、なんてものがくっ付いてたとしたらどうする?

絶対にそんなもの買わないし、年老いた両親にプレゼントしたいとも思わないはずだ。
販売している会社の正気を疑うレベルの商品だよね。

エアコンやテレビや冷蔵庫や電話からも、そんなメッセージが突然流れることを、絶対に誰も歓迎しない。 誰かがあなたの両親の家の家電にそんな機能を付けたら、あなたは怒るはずだ。何の嫌がらせだ!と。

でも市が防災無線でしていることって、そういうひどい機能を持った目覚まし時計を、全市民に配って強制的に使わせてるようなものじゃないか。

この現実をもっと異常だと考えるべきなんだみんな。
あんなものは要らないし、まけても月に1回までが限度だとぼくは思う。

防災無線は緊急性のあるものに限るべきだ。
そうでないものを流すなら、どのぐらいのペースにするか、騒音を聞かされる側の意見を聞いてくれ!

最後に訊こう。もしもあなたが引っ越しを考えているとして、立地も価格も同じような2つの町があったとする。

そのうち1つは緊急以外の放送をいっさい流さない閑静な、聞こえるのは小鳥のさえずりと木々が風にそよぐ音、の町。

もう1つは振り込め詐欺に気を付けようとか子供たちの安全を見守りましょうとか、 親切な(冷笑)メッセージを大音量でしょっちゅう流してくれる町。

あなたはどちらの町を終の住処にしたい?
真面目に考えて欲しい。

閑静な町とうるさい町

きれいな空気とか、都心に近いとか、ぼくたちが望む住環境はどれも簡単には手に入らないものばかりだけど、 必要なこと以外は流さない防災無線、は本来ぼくたちが手に入れて当たり前のものなんだ。

その当たり前のものをぼくたちから無駄に奪っている者たちがいるんだ。

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あんまし生まれて来たくなかったなぁ・・

2015-02-14 09:13:08  |   届け、魂の叫び

あなたは10代の頃に戻りたい?
答えはYESのはずだ。

あなたは35歳のニートになりたい?
答えはもちろんNO。

お金持ちだけど80歳の老人になりたい?
NO。なりたくない。

じゃあ最後の質問。
35歳のニートと80歳の金持ち老人、どちらかになるならさてどちらを選ぶ?

たぶん多くの人が35歳ニートを選ぶと思う。
いくらお金があっても80歳じゃ・・。

これってつくづく残酷な現実だ。
だって僕たちはいくら頑張ったって、最後は80歳の老人になるか、その前にガンになって衰弱して死ぬんだから。

もしも、もしもだよ、どんなに頑張っても最後にはそれまで築いたものを全て奪われて35歳のニートになるしかない、のが人生の結末だったとしたら、 きっとみんなやる気をなくすと思うんだ。人生とはなんと不条理なものだろうと嘆きの声が世界にあふれると思うんだ。

でも現実はむしろそれ以上に残酷で、 35歳のニートよりもさらになりたくない自分・・すなわち老いて衰弱した自分・・に向かって僕たちは日々全力で突っ走っているわけじゃないか。 なんでみんなこれでやる気を維持していられるのだろうと、考えてみれば不思議なんだ。

おなじみの究極の2択に、カレー味のウンコとウンコ味のカレー、どちらを選びますか? というのがある。

その2択でさんざん悩ませた挙句に、結局そのどちらでもないウンコ味のウンコを食わされる、 というゲームがもしもあったとしたらどうだろう?

なんとバカバカしい!悩む意味がなかったじゃないか!
とみんな怒り心頭のはずだ。

なんか人生ってそれに似てる気がするんだよな。
いろいろなことで悩んで悩んで、でも最後には結局一番なりたくなかった自分になってゲームオーバー。

みんなその過酷な現実とどう向き合ってるんだろう。
嫌な渡世だ。

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団塊の世代は本当に嫌な仕事に耐えてきたんかいな?

2010-01-26 10:33:02  |   届け、魂の叫び

フリーター、ニート問題を取り上げたテレビ番組がYou Tubeに上がってたんだ。
それによるとフリーター、ニート増加の原因はゆとり教育にあるのだそうだよ。
あれが原因で今の若者はこらえ性が無くなり、会社もすぐに辞めてしまうんだってさ。

「今の若者は嫌な仕事に耐えることを知らない」
こう年配の人達が言う時、そこには、自分たちは嫌な仕事、苦しい仕事に耐えてきたという自負が含まれているはずだ。

でも思う。それって本当なのかと。
僕は、年配の世代(例えば団塊の世代)ほど気楽に仕事をしてきた人達もいないんじゃないかと、密かに疑ってるんだけどね。

彼ら団塊の世代(あるいはそれよりちょっと下の世代)は口をそろえてこう言うじゃないか。
「昔は良かった。昔のこの業界は良かった。」
これって要するに、昔は今と違って金を稼ぐのが簡単だったって言いたいんでしょ?

実際その通りだったと思うよ。
昔は今よりお金を稼ぐのが簡単だった。要するに仕事が簡単だった。

中には『プロジェクトX』で紹介されるような英雄的な仕事をした人達だっているだろうけど、そんなの一部のエリートだけだ。 多くの団塊サラリーマンは、植木等ふんするサラリーマンよろしく実にお気楽に働いてきたに違いないんだ。 そしてそれはほとんどどの業界についても言えることだと思う。

例えばプログラミング業界を見てみようか。
ある著名なプログラマが言ってたんだけど、昔のプログラマは初歩的なコードが書けるだけで飯を食うに困らなかったんだってさ。

別のプログラマはこうも言ってたな。
昔のプログラマは最低でも月50万が相場だったと。

ということは昔のプログラマは、初歩的なコードを書いて毎月50万の給料をもらっていたのだろうか? たぶんそうだったんだろうよ。

今のプログラマは殺人的とも呼べる労働時間に耐えながら、その上で日ごとに生まれる新しい技術を吸収していかなければならない。 そんな風に身と心をボロボロにして働いても、もらえる月給なんて20万円程度だったりするんだ。

次にゲーム業界を見てみようか。
昔のゲームは1人のプログラマがたった数日で作ってしまうようなものだった。
そんな風にてきとーに作ったゲームが50万本、100万本と飛ぶように売れていく。

売り上げに換算すれば50億とかだよ?
当時のあるゲーム会社の社長は、「笑いが止まらなかった」とインタビューで答えていたっけね。

今のゲーム作りは、数十人(ときには100人以上)もの人間が半年、一年かけて行うような一大プロジェクトになってしまった。 もちろん個々のメンバーに求められる技量も昔とはケタ違いに高い。 それでも売れる本数なんて2~3万本程度だったりする・・。

次に大学教授を見てみようか。
子供がたくさんいてポコポコと新しい大学が創設されていたかつての時代、大学教授になるのはそう難しいことではなかったようだ。 実際、僕の父親もある大学(そこそこの大学だ)の教授職を紹介されている。断ったんだけどね。 (ちなみに本人は現在そのことを後悔している。)

一度教授になってしまえば、あとは気楽なもんだ。
学生相手にやる気のない授業をし、たま~に形式的な論文を書いてさえいれば高額の給料(国立大だと年1000万ぐらいだっけ?)が保証される。

今のオーバードクターの若者から見れば、こんなのほとんどおとぎ話の世界だ。
現在、大学教授への道は、おそらく旧司法試験よりも狭き門だろうさ。

今のオーバードクターは、フリーターをしながら研究を続け、論文を提出し、底意地の悪い教授にゴマをすって・・。 当の教授ときたら、彼らの半分の努力もしてきてないかもしれないのにね 。

別の角度から見てみようか。
現在、市役所の職員のような公務員職はとても人気があるよね。
安定性バツグンで、仕事だってそんなに難しくないイメージだ。学生達がヨダレをたらして就職したがるのも当然のことと思う。

でも昔はそうでもなかったという話じゃないか。
昔の学生はあまり公務員にはなりたがらなったと聞く。
特に郵便配達員なんて、「自分の名前が書ければなれる」なんて言われるぐらい人気がなかった。

どうしてだろう?
どうして昔の学生は、こんなおいしい仕事を平気で袖にすることができたんだろう?

答えは簡単だ。
民間の仕事もほどほどに楽だったからだ。そうとしか考えられない。

彼らは「公務員は仕事がつまらないから」なんて理由で、民間会社に就職することを選んだ。
つまり、そんな贅沢を言ってられる余裕があったということだ。
この点を見ても、昔の人がいかに楽に仕事をしてきたかが想像できる。

さらに別の角度から見てみよう。
現在、フリーターは200万人以上いると言われている。
パートも含めた非正規社員という括りなら、もっと数は増えるだろうさ。

すごい数字だ。これを聞いた年配世代はきっと眉をしかめるに違いないよ。
「楽な仕事ばかり求めちゃいかん」と、お説教の一つでもかましたくなるだろうさ。

でも逆に考えてみようじゃないか。
現在の2~300万人の非正規社員が行っている「楽な仕事」を、昔は誰が担っていたんだろう。
正社員が担っていたんでしょ?

つまり昔の正社員の中には、今ならフリーターでもできるような簡単な仕事をこなしながら、 それでもいっぱしの給料とボーナスをもらっていた人達がたくさんいたってことになる。 (もしかしたら半分以上がそうだったりして。)何と恵まれた時代だろう。

僕の子ども時代を思い出してみる。当時はまだ、近所の商店街にも活気が残っていた。
八百屋さん、魚屋さん、お惣菜屋さんなど、いろいろなお店が軒を構えていたっけね。

そんな彼らは(今思うと)みんなとてものん気に働いていたような気がする。
家族を養うために歯を食いしばって嫌な仕事に耐えているといった悲壮感を見て取ることはできない。 むしろ現在の居酒屋やガソリンスタンドで働くフリーターの若者の方が、よっぽど「頑張ってるオーラ」を出しているよ。

それなのに、一方(昔の八百屋)は一人前として世の中から認められ、もう一方(現在のフリーター)は半人前として軽蔑される。 何てこった、嗚呼・・。

別に僕はフリーターを擁護しようと言うんじゃないんだよ?
彼らは一刻も早く正社員の仕事に就くべきだと思うよ。何より彼ら自身の未来のためにね。
(僕自身、他人のことを言ってられる身分でもないが・・)

でもフリーターやニートを語るとき、団塊の世代が出てきて、
「嫌なことに耐えるのが仕事なんだ。俺達を見習え」なんて偉そうに言うのを見るのは好きくない。

あんたら、嫌な仕事になんてさほど耐えてきてないじゃないか。

誰よりも恵まれた環境で働いてきたじゃないか。

放っといても物が売れる時代にフリーターレベルの仕事をしながらお気楽に給料とボーナスもらってきたじゃないか。

・・あまり大きな声では言えないけどさ、そんな風に思ってしまうわけなんよ。

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