1cm100mブログ

能力バトルを超える設定はこの先も現れない

2016-11-22 09:02:35  |   マンガ

ふと思った。
今の漫画によくある能力バトルって、ジョジョ3部が最初にやったんじゃなかったっけ?と。

でネットでちょっと検索してみたら、実に多くの人が同じことを考えているらしいとわかった。 もうほとんど常識になってさえいる感じ。何を今さら得意気に語らなくて良かった。

元祖といってもジョジョが0から能力ものを作ったわけじゃなくて、 そのはるか前に例えば『ファンタスティック・フォー』があったし、 ウルトラマンの怪獣やキン肉マンの超人だって多彩な能力を持つには持っていたわけなんだけど、

今と比べるとそれぞれ少しずつ足りない感じがある。 『ファンタスティック・フォー』は基本的に能力者 v.s エイリアンのようで、能力者の数も少ない。

ウルトラマンやキン肉マンも、概ね同じ系統の力どうしをぶつけて戦っていたイメージ。 どちらもベースがプロレスだし。

現代バトルものの主流はあれだ、能力者たちが1人1個の、それぞれルーツを同じくする(スタンド、悪魔の実、念etc・・)特殊能力を使い敵味方に分かれて戦う、というものだ。

その能力どうしはぜんぜん噛み合ってなくて構わない。
むしろ噛み合っていないほうが楽しい。

ギャンブルで負かした相手の魂を奪えるという能力者が、炎を吐く能力者らをどうやって倒すのか。 そんなアンバランスの戦いの面白さを世に広めたのは、やはりジョジョだろうと思う。

当時はその設定をさして新しいとも思わず、ふーんという感じで自然に受け入れていた。 でも今にして思えば、偉大な前進だったのだね。

あれからもう25年ぐらい経つわけだけど、なかなかそれに替わる設定が出てこない。 バトルものの新機軸が生まれていないように見える。

ここまで長いこと、このジャンルの進化が止まっていたことってあるんだろうか? かなり異常な事態なんじゃないのか?

80年代以降、漫画の人気はバトルものが引っ張ってきたわけじゃないか。 キン肉マン、北斗の拳、ドラゴンボール・・。

そうした作品は何かしら新しいバトルの姿を見せてくれたと思うのだ。 キン肉マンにはトーナメント、力の数値化、という今はどちらも流行らないけど後のバトルものに大きな影響を与える2つの要素があったし、 北斗の拳には北斗神拳が。

ドラゴンボールは、今では世界中に定着している、エネルギー弾を飛ばし合う超バトルを確立した。 その頃のバトルものは日々進化していたのだ。

その後ジョジョ3部が出たことでバトルものは理論面での頂点を迎え、ONE PIECEで人気の頂点を迎え、 その後は停滞しているように見える。

新しいバトルものが始まっても、またこの設定かぁ・・と感じることが多い。 すごく多い。

バトルものを描こうと思えば二番煎じ三番煎じ上等で能力バトルにするか、 それを避けて一昔前の、剣や拳法どうしで戦うクラシカルなバトルにするか、どちらかになっている感がある。

サッカー風にいえば、横パスかバックパスしかできない状況みたいなものだ。 前に運ぶことができない。

強いていえば進撃の巨人的なグロが近頃の流行で新しい要素なんだろうけど、グロは進化なのかな・・?

バトルものが盛り上がらなかったら、業界全体が盛り上がらない。 エースで4番だものバトルものは。引っ張ってくれないといけない。

漫画が売れなくなった一因に、エースの停滞はきっとある。
乗り越える時が来るんだろうか?

ぼくは来ないんじゃないかと思う。
悲観的な予想だけど、能力バトルを超える新機軸はこの先も現れない。

そう思う理由はこうだ。
能力バトルとは、すなわちバトルものにおける総合格闘技だから。

能力バトルとは平たくいえば、何でもありのバトルのことだ。 制約を取っ払って何でもありの戦いにすれば、能力バトルになる。 どんな超能力でも出せる。超能力者全員集合のオールスターバトルだ。

これは格闘技でいえば総合格闘技なわけよね。
ルールを取っ払って最も制約を少なくした格闘技が現在の総合格闘技だ。何でもありの格闘技だ。

そして一度何でもありのバトルが誕生してしまったら、それを超える体系は出ないと思うんだよ。 たぶん50年後も100年後も、格闘技の最高峰は総合格闘技のままなんだろうと思うじゃないか。

新しい格闘技は何かしら出るんだろうけど、総合格闘技より格の高いものにはならない。 何でもありよりスケールの大きな世界なんてないから。

同じことは漫画のバトルものについてもいえる。
能力バトルという何でもありのバトル以上に大きなスケールのバトルは作れない。

だからこの先でるバトルものは全て、今と同じかそれ以下のスケールの設定にならざるをえない。 どちらにせよインパクトに欠ける。

漫画界のエースであるバトルものは、この先も停滞を打ち破ることができず、 それにより業界は静かに衰えていく。そんな気がする。

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志々雄真実さんはかっこいい ラスボスは設定が大事だ

2015-12-27 10:22:10  |   マンガ

高校生とか大学生の時、『るろうに剣心』が好きだった。
あの頃はマンガへの熱が高くて、毎週のジャンプ発売日が待ち遠しかったものだ。

ぼくは自分が弱いせいか、いつも悪役に憧れてた。
キン肉マンだったら悪魔将軍とかフェニックス、北斗の拳だったらサウザー。

で『るろうに剣心」だったらもちろんのこと志々雄さん。

志々雄さんは一発でぼくの心を捉えた。
あの人はいいね。最初から全く何の拒否反応もなく、我が心のど真ん中に入った。

普通はだね、新しい悪ボスが出てくると、読者にはいくらかの拒否反応が起こるものなのさ。
何だこいつ、前のボスだった○○のほうが絶対強えーよバーカ、みたいな。

それは再婚して新しくやってきたお母さんを、子供が受け入れないのに似ている。
お前なんかママじゃないやい!前のママのほうがよかったやい、な感じ。

でも志々雄ママにはそういう反応が全く出なかった。
あ、この新しいママいいわ当たりだわ、の感がいちばん最初からビシバシ来た。

何と言ってもあれよ、主人公剣心の後継者という設定がよかった。
剣心が人斬りをやめたあと、その闇の仕事を引き継いだのが志々雄さんという設定。

初代が剣心で、2代目が志々雄さん。
もうこの時点で読者は新ボスの強さを疑わない。

剣心と同じポジションか、そりゃつえーわ絶対。
とあっさり新ママを受け入れたことだろう。

しかもこの志々雄さん、仕方なく人斬りをしていた剣心とは違い、ひとかけらの良心も持ち合わせていないようだという。能力は互角だけどハートが違う。

読者は思う。
ほうほうなるほど、つまりこの志々雄さんというのはダーク剣心なわけやね、と。

マンガやゲームにおいて、ダークになった主人公は最強の敵だ。
スーパーゼウスとブラックゼウスみたいなもんだ。

一句、「主人公 闇属性で ラスボスに」
志々雄さんは悪ボスとして最高のスタートを切った。

そしてあのビジュアル力。全身包帯グルグル巻き。
悪そうで強そう。

さらに志々雄さん、今ではすっかりなまってしまった剣心とは違い、現在も強さのピークを維持しているようである。 この設定も熱い。志々雄さんを見れば、かつての剣心の強さがわかるというわけやね、と読者の期待は高まる。

さらにさらに、志々雄さんには強い仲間もいる。
側近レベル(宗次郎)で既に剣心より強いのだ。

強い仲間がいる、これはかっこ良さの重要なポイント、 クラスの権力者が権力者同士でつるんでいるのを見て、底辺にいる者たちは羨望のため息をつく。 ゴールドセイント同士の頂上ネットワークに自分も入りたいと思うのだ。

さすが志々雄さんクラスになると、悪くて強い仲間がいるんだな。
読者は大いに納得する。完璧だ。完璧なボスだ。

それに比べるとあれだね、次のシリーズのボスの雪代縁は、設定があんまり上手くいってなかったと思わずにいられない。

主人公のかつての恋人の弟、という特に何の感想もわかないポジションで登場し、 連れている仲間はかつて剣心にボロ負けした負け犬軍団。

戦う動機も粘着的で思い込みが激しい。
この人が志々雄さんより強いという設定を受け入れるのは難しかった。

ぼくは思うんだけど、この雪代縁はさ、主人公の兄という設定にすれば良かったんじゃないか?

少年マンガには3枚のジョーカーがある。
主人公の兄(or父)、主人公の師匠、主人公のダークサイド版。

るろうに剣心はこの内の2枚しか切っていない。
師匠(比古清十郎)とダーク剣心(志々雄さん)。

残りの1枚、すなわち主人公の兄、をね登場させるべきだったと思うのだ。
そしたら読者は新ボスを一発で受け入れたんじゃない? 兄か、兄なら強いわそりゃ、と。

で連れてる仲間も、賞味期限の切れた負け犬軍団なんかじゃなくて、兄グループにふさわしい華々しい奴らにする。 土方歳三が実は生きていたのだー、みたいな感じで格の高い奴らを出す。

剣心の兄で、中国マフィアのドンで、志々雄さんとも対等の交友関係を築いていた、という設定ならかなり熱かったと思うんだけどな。

剣心は身寄りがない設定だから兄は出せないよって?
そんなのどうにでもなる。よく考えたらいました、でいい。

けっきょく兄カードを切らないまま、るろうに剣心は終わってしまった。
もったいないことだ。

ラスボスは設定が大事だと切に思う。

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人に愛される作品とは

2014-11-21 09:39:18  |   マンガ

むかしマンガ家を目指してたんだけど、自分が描きたいものは決まっていた。
人に愛される作品。
藤子・F・不二雄とか鳥山明みたいな、万人に愛される作品を描きたかった。

マンガ家を目指す人はみんなそうなのさ。誰だって最初はそこを目指す。 どう見たってそこがマンガ家の最高峰だから。

それが自分には無理だとわかって初めて、じゃあもうちょっと変則的なものを描いてみようかな、という気になる。 ピッチャーがオーバースローを諦めてサイドスローに転向するようなものだ。

愛される作品の条件って何だろう? ドラえもんとかDr.SLUMPとかONE PIECEとか、映画でいえばラピュタとかバックトゥザフューチャーとか、 ゲームでいえばクロノトリガーとか、万人に愛される作品には、何か共通の匂いがあるように感じる。

同じ系統に分類したくなる何かが、これらの作品にはある。

一方で、面白いには面白いけど、愛されてるとはいえない作品もある。 映画の『セブン』なんてそうじゃないか?あれを愛している人は少ないだろう。気持ち悪いからな。後味も悪いし。

感動のあるなしが重要な要素かと、これまでぼんやりと考えていた。 愛される作品には、どことなくほっこりハートウォーミングなイメージがある。

でもよく考えてみると、ドラえもんやDr.SLUMPに、感動要素はあまりない。 ラピュタだって特に感動を強調した作品でもないし、バックトゥザフューチャーやクロノトリガーだって別に。

感動は関係ないのだ。 愛される作品にはほっこり要素があるけれど、それはお涙ちょーだい的な感動に支えられているものではなく、別の何かだ。

性質としては、冬のコンビニに入っておでんの匂いがしたときに、もうこんな季節ですな、と感じる幸に似ている、気がする。 クリスマスのイルミネーションとか、お正月のお雑煮の匂いが、ちょっと人をいい気分にさせるのと同じような力が、愛され作品にはある。

ぼくはそれは、子供時代の思い出、じゃないかとにらんでいる。
万人に愛される作品は「子供時代」や「子供の世界」と密接に結びついていて、それらを連想させる力があるのだと思う。

たぶんあれだ、ぼくたちはみんな潜在的に子供時代に戻りたいと思っていて、自分を子供の気持ちに戻してくれるフィクションを求めているのさ。

それには『ウルトラマン』や『仮面ライダー』じゃダメなんだよ。 ああいうのは大人にとっては幼稚すぎて入り込めない。却って自分がもう子供でないことを痛感させられて、哀しくなったりする。

でも稀にだ、完全に子供に向けた作品でありながら、それでいて大人の鑑賞にも耐える作品がある。 子供の所有物でありながら、大人も使えます、的な作品。

そういうのはまるで水陸両用の車みたいに、特別な感じをぼくたちに与える。 選ばれし作品、の風格が漂う。

そういう作品は、大人を子供の頃に戻してくれる。
それは大人にとってとても心地のいいものであり、その心地よさをもらったとき、人はその作品を愛するようになるのだと思うよ。

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ジブリんぼ マイオリジナルバージョン

2010-11-06 08:02:19  |   マンガ

ずいぶん前のネタみたいだけど、こないだこんなものを発見した。
ジブリと美味しんぼを合体させてジブリんぼ、だって。

http://blog.livedoor.jp/wordroom/archives/51302363.html

面白いなぁと思って、真似して自分も作ってみた。
会心のネタをあなたの肥えた目で採点してくれたまへ。

『ジブリんぼ (マイオリジナルバージョン)』

シータ・パズー:「バルス」

ムスカ:「わー目がー目がー」

山岡:「フンッそんなバルスで目が見えなくなってるようじゃほんとにラピュタの末裔かどうかも怪しいもんだ」

ムスカ:「な、何だお前は失礼じゃないか!」

山岡:「明日の同じ時間、またこの玉座の間に集まってください。
そんな子供が唱えたのよりよっぽど強烈なバルスでみなさんまるでゴミのように海に落としてみせますよ。」

とみい:「山岡、お前そんなこと言ってほんとに大丈夫なんだろうな!」

ひ・と・み~すれちが~うたび~♪

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